紀元前〜初めての銅版彫刻
B.C.5000〜B.C.4000年ごろ、エジプトでは円筒形の石などに文字や絵画を彫刻し、これをやわらかい粘土板上にころがして押印した。これと前後してエジプトではまた石面に文字などを刻んで情報の伝達をおこなった。碑文の文字を紙と墨をとを用いて写しとる複製(拓本)をつくったのは中国の唐代以前のこととされている。
唐代の初め、中国で木版印刷がおこなわれている。これが印刷の源流である。唐代の木版印刷物で現存する物は868年につくられた「金剛般若波羅蜜経」で大英博物館にある。これは1907年に敦煌の石窟から発見されたが、版の彫刻や印刷が精巧な点からみて、はるか前から木版印刷がおこなわれていたと考えられる。
日本では770年に6年かかって完成した「百万塔陀羅尼経」が法隆寺に多数保存されている。これは現存する世界最古の印刷物である。孝謙上皇の発願で、百万基の高さ19.5cmの木製の三重小塔に収められた印刷物で、縦約5cm、横16〜50cmの経文で4種ある。木版、活字版、銅版の説があるが、銅鋳版説が有力である。10世紀に木版印刷による出版が中国で盛んになった。馮道が21年かかって完成した『九経』277巻はこの時代のものである(953)。日本では奈良の春日神社に奉納するため刊行した経本「春日版」は平安末期から室町時代に印刷されている。用紙、版、刷色、装丁のすぐれたものが多く、興福寺に現存する「成唯識論述記」の木版は1195年(建久6)に彫刻したもので、現存する最古の版木といわれている。
鋳造活字による活版印刷
木版がヨーロッパに渡ったのは14世紀ごろで、印刷年代のはっきりしたヨーロッパ最古の版画は1423年の「聖クリストファの図」である。ヨーロッパではこのころ出版事業が盛んになり、写字僧が写本をつくることに苦労をしているのを見て、ドイツのグーテンベルグが1445年ごろ活版印刷を発明したといわれる。彼は鉛合金の活字、黄銅製の母型、油性インキ、印刷機械を用い、印刷が従来の方法くらべて、早く、正確に、鮮明にできるようにし、印刷に新時代をつくった。彼と彼の仲間が印刷した「36行聖書」、「42行聖書」は世界最古の活字本として現存している。グーテンベルグの鋳造活字の発明以前に、陶製活字、木活字、銅活字が発明されているが、一時的には使われたが、いずれも中絶している。中国のひつ昇が膠泥を固め、文字を刻んでから焼いて陶製活字をつくった(1041〜49)。また1314年に元の王ていが木活字をつくり、自著『農書』を発刊した。中国の明代に銅活字が用いられたが、その後木活字が再び流行し、銅活字は姿を消した。グーテンベルグの活版技術はヨーロッパに短日の間に広まり、ドイツ、イタリアをはじめ印刷所を持つ都市は200以上を数えるに至った。
日本における活版印刷
グーテンベルグの活版印刷が日本に伝えられたのは発明後140年を経た1590年(天正18)で、イタリアの宣教師ワリニャーニ A.Valingnani(1539〜1606)により現在の長崎県において、欧文、和文活字で「キリシタン版」を出版したが、20年ほどで豊臣秀吉の禁圧により絶えた。このうち30種ほどが現存する。木製の活字による出版はそのころから日本で行われており徳川家康は伏見で木活字をつくらせ、1599年(慶長4)には『孔子家物語』、『六とう』その他を刊行した。「伏見版」がこれである。京都の嵯峨に住んでいた角倉素庵がつくったもので、漢字と平がなの書体は美しい草書体で、本阿弥光悦の書風である。用紙や装丁も光悦の意匠考案によるものと考えられ、光悦本とも呼ばれる。1608年(慶長13)『伊勢物語』をはじめ十数種を出版している。しかし木活字は日本では字数が多く、重版のときに問題があって、しだいに衰微していった。1870年(明治3)オランダ語の通訳、本木昌造が米人ガンブルの指導を受け、長崎で活版印刷所をつくり、和文活版を工業化し、今日の基礎を築いた。和文の号式活字は彼が考案したものである。
凹版・平版・オフセット印刷
凹版印刷は、グーテンベルグの発明以前に銅版の彫刻凹版がおこなわれている。年代の明らかな現存する最古の彫刻銅版画は1446年作の「キリスト★刑図」でベルリンに保存されている。1513年ドイツのグラーフが銅版を腐食して凹版とするエッチング etching を考案した。画家レンブラントはエッチングの名作をのこしている。
平版は、1798年プラハ生まれのゼーネフェルダー A.Senefelder(1771〜1834)がミュンヘンで発明した。彼は、ドイツのケルハイム産の石灰石を使って楽譜印刷用の凹版や凸版をつくってみたが、この石は多孔質で水分を保持する性質があり、また脂肪をよく吸着することを知り、脂肪性のインキで字を書き、湿し水でしめして製版する現在の平版を発明した。この印刷方法はリングラフィー lithography と呼ばれ、凹版やエッチングでは出ない味があり、多色刷りを含めヨーロッパで盛んにおこなわれた。ロートレックの石版画は有名である。ゼーネフェルダーはさらに1817年に重い石版石にかえて亜鉛板を版材として使うことに成功した。また1903〜04年アメリカのルーベル I.W.Rubel がオフセット印刷法を発明し、今日の平版印刷の隆盛の基礎を築いた。
写真の発明〜DTP
19世紀に入り写真が発明され、これが印刷の製版に応用され、従来の手書きの版から現在の写真版への道を開いた。1860年ごろドイツのアルバート J.Albert は重クロム塩酸を感光剤とし、ゼラチンを版面としたコロタイプを研究し、70年にはミュンヘンにコロタイプ工場をつくった。79年にチェコのクリッチュ K.Klietsch が散粉グラビアの特許をとり、93年に輪転式グラビアを完成した。82年ドイツのマイゼンバッハ G.Meisenbach (1841〜1912)が網版法の特許をとり、86〜93年のアメリカのレビー兄弟が完全な網目スクリーンを制作し、網版法が実用化した。日本には明治に平版、コロタイプ、網版はどが紹介され、大正にはいってオフセット、グラビアが導入された。
第二次世界大戦後にはプラスチック工業その他の進歩に応じ、印刷、製版、インキも進歩し、また被印刷物には紙以外の広範な材料を加えて多彩となった。さらに電子工学技術の導入により、電子製版、電子印刷、印刷の刷り合わせの自動化、刷色の調節の自動化などがおこなわれ、電子計算機による高性能写真写植も開発された。
1900年代に入るとアルダス社社長ポール・ブレイナードがDTP(Desk Top Publishing)という概念を提唱、初のレイアウトソフト「PageMaker」を発表した。これは印刷の前工程(プリプレス工程)をすべてコンピューター上で行うという画期的な考えで、アップルコンピュータ社のMacintoshの発表、1985年アドビシステムズ社のPostScript言語の発表とともに瞬く間に一般に普及し、出版・印刷界にアナログからデジタルへの大きな革新をもたらした。